歴史記述についてとか

先日たまたま入った書店で山川の「世界史リブレット」シリーズを何冊か購入したのだけど、そのうち一冊を移動の電車などで。薄いのですぐに読める。

歴史意識の芽生えと歴史記述の始まり (世界史リブレット)

歴史意識の芽生えと歴史記述の始まり (世界史リブレット)

内容はタイトルにあるとおり、過去の「出来事そのもの」という意味での「歴史」と、その「出来事の記述」という意味での「歴史」とを区別した上で、後者についての「歴史意識の芽生え」を主に古代オリエントイスラエルギリシャ、中国の事例を中心に紹介するもの。学問制度としての「歴史(学)」のことは扱われないので、そのあたりのことは以前に読んだ以下のものが基本文献かな。

歴史 ― HISTORY (〈1冊でわかる〉シリーズ ― Very Short Introductions日本版)

歴史 ― HISTORY (〈1冊でわかる〉シリーズ ― Very Short Introductions日本版)


話は変わって、先日ちょっと触れたロバート・L・ハイルブローナーの『入門経済思想史』のケインズを扱った章で、ケインズのちょっと変わった性向として、ケインズが自分の手をあまり人に見せたがらなかったこと、でも自分の手には誇りを持っていたらしいこと、さらにその一方で他人の手(特に指と爪)に対しても大いに関心を持っていたらしいことが書かれていた。自分と妻の手の鋳型を作らせたとか、フランクリン・ルーズヴェルトと対談した際に彼の手についてあれこれ書いているとか、なんだか面白い。そのルーズヴェルトの指と爪に関する記述など、はっきりと「ヘン」なので、引用しておく。

しっかりしていて相当強そうではあったが、器用とか精巧とかいうのではない。ビジネスマンの指先に見かけるような短めの丸い爪をしていた。私にはうまく言い表すことができないが、これは(私の眼には)さほど際立った爪とは映らないものの、さりとてありきたりのものでもない。とはいえ、それは妙に親しみを感じさせる類のものだった。私はそれを以前、どこかで見たことがあるのだろうか。忘れてしまった人の名前を思い出すのに少なくとも10分間は記憶を探っていたため、私は銀や均衡予算や公共事業について自分がなにをしゃべっているのか、ほとんど上の空だった。そしてとうとうその名が頭に浮かんだ。それはエドワード・グレイ卿だったのだ。彼の爪は、エドワード・グレイ卿のをもっと堅く、そしてアメリカ風にしたものだった。(426−7頁)

Sir Edward Greyは外務大臣なんかも務めた自由党の政治家だそうだけど、その爪を「アメリカ風」にしてさらに「ビジネスマン」っぽくするとルーズヴェルトの爪になるのだそうな。いったいこの人は何の話をしているのだろう。「上の空」とか言ってないで仕事したほうがいいと思う。