日本英文学会関東支部

行ってまいりました。日本英文学会関東支部の第2回例会。


午後の研究発表一本目から聴きに行くつもりだったのだけど、開始時間を勘違いしていてディスカッションの途中から。申し訳ない。部屋に入ったらやたらと「ダーウィン」の名前が連呼されているので、なんで「進化論」の人がシェリーと関係があるのかと思って、ハンドアウトの文献表を見たら、お祖父さんの方でしたとさ。それにしても、発表者のK氏とディスカッサントのO先生、それからフロアから手を挙げて質問したI先生の三人で、18世紀の生理学などに関してえらくマニアックな話を(しかも楽しそうに)していて、さながらあの三人だけ「日本英文学会関東支部18世紀生理学部会」の様相を呈していたような。


特別講演はリー・ハントがヴァージニア・ウルフに与えた影響について。特に時間と空間の表象の仕方などが影響を与えたとのこと。あと、驚いたのは、ハントがやたらとドライデン周辺の劇壇のことを書いていたこと。


講演をはさんで研究発表がもう一本。イーグルトンの新著How to Read a Poem (Blackwell, 2007)の紹介をしつつ、ハーディの詩をいくつか(特に従来マイナーとされてきたもの)読み直す。イーグルトンはこの本で "A poem is a fictional, verbally inventive moral statement" と述べ(p.25)、その理由は "not because they launch stringent judgements according to some codes, but becasue they deal in human values, meanings and purposes"としている(p.29)。これを単なるリベラル・ヒューマニズムだと言ってしまうのも簡単だろうけど、どうもそればかりでもない。そのあたりのことを、イーグルトンが「異化作用」について述べていることを手がかりに。そこから話は、ある作家の選集を編んだり、あるいはアンソロジーを編纂したりという、いわば「キャノン確定」作業のあり方について。


その後が、シンポジウム「ふたたび問う、文学と歴史――実践の現場から」
このシンポ、位置づけとしてはかつて「若手の会」で行われたシンポ「東京で読める一次資料」の続編ということになるのだろう。そのときには、手間暇をかければ国内にいても膨大な一次資料を収集することができる状況にすでになっているという点に主眼をおいたものだったけど、今回は、ではその集めた一次資料はどう読めばいいのか、単なる「調べもの」にならない「歴史主義」的文学研究はどのように可能/不可能であるのか、その可能性と限界についての話。


いろいろと啓発されることの多い話が聴けたけど、やはり当面私に必要なのは質・量ともに充実した「精読」を目指していくことに尽きるわけで。いや、もちろん、その「質」が問題なんだという話だったのだけど、私の場合は要するに「もっとちゃんと英語を読めるようになりましょうね」というレベルなわけで。