愛と戦いの合評会
21日土曜日。昼から神保町。日本英文学会関東支部例会@専修大学神田キャンパス。
午前中に妙に眠くてだらだらしていたせいで、会場入りしたのはシンポジウム「感性表現の英米文学―人間の感覚は何をとらえ、どう表現するか?」の終盤。なのでシンポについては何も言えず。
その次は、「分野別研究将来構想トーク」として、「20世紀英文学と文化史記述の方法―『愛と戦いのイギリス文化史―1900‐1950年を素材にして」。編者を中心とした登壇者たちが、この本の企画意図と各章の概要、この「文化史教科書」の続刊の予定などを説明。その後フロアからの意見など。そのあたりは後述。シンポと特別講演に挟まれていた関係で時間が短かったのはもったいない。
その後が、特別講演「教室で学ぶ英語、自宅で学ぶ英語」。T山御大による、ご自身の授業実践のご報告を中心としたもの。語学の授業だけでなく、専門の講義や演習についても。いろいろと示唆に富むものだったけど、一番印象的だったのは、「予習のやり方を教えなければいけない」という話。確かに、「来週はテキストの○○頁をやるので、予習しといてくださいね」とか簡単に言ってしまっていたけど、そもそも英語が「苦手」だったり、ほとんど自分で勉強をしたことがないというタイプの学生には、予習段階で何をすればいいのかがわからないということは十分にありうるのだ。つまるところ、「教室の外」での英語の勉強の仕方ということになるのだけど、そのあたり、今後はもう少し意識的にやった方がよさそうだ。
22日日曜日。昼から田町。上記『愛と戦いのイギリス文化史』の合評会@慶應大学三田キャンパス。「英文科的教養」のための耳学問をさせていただく。こちらもご参照。。
20世紀のことに関しては全くの門外漢なので内容に関してあれこれと批評することはできないのだけど、論文集並の最先端の研究動向への目配りと高水準な議論を含みつつ、学部の授業で使える教科書を目指すという果敢な試みには多大な敬意を払っているわけで。もちろん、その結果として、まったくの初学者が独力で読むには難しく、授業で使うにしても担当教員がとても苦労するであろうものが出来上がったわけで、そこは批判されるところでもあるのだろう。ただ、何でもかんでも易しくして、至れり尽くせりの説明や注釈をつけていったって、そこには限界もあれば弊害もあるわけで、少しは知的な苦労もしてもらえるくらいで丁度いいのではないかと思ったりする。なんにしても、これを授業で使おうと思ったら、教員の腕の見せ所ではないかと。
いずれにしても、「文化史」という領域をめぐっては、「文学研究者」と「歴史研究者」とが今までとは違った形で交流あるいは対話(それが必ずしも「友好的」なものに限られるわけではないにしても)ができる回路が開かれているわけで、その一端を今回の合評会で見ることができた。今回の「対話」に関しては、基本的には「友好的」なものであったが、評者であったM先生が「歴史研究者」としての視線を徹底させてそこからの批判を見事に行ってくださったわけで、単なる馴れ合いにならない生産的な対話になったのではないかと思う。
結果としては、「文学研究」と「歴史研究」の間の「学際的」な研究としての「文化史研究」を今後行っていくにあたって、その「文学研究」と「歴史研究」という既存のディシプリンの「際(きわ)」がある程度見えてきたような気がする。いろいろな人が言っているけど、「際」を見極めなければ「学際」も何もあったものではない。「脱領域」と「なし崩し」は違うというか。
さて、この本の内容について、前日の関東支部では「宗教」に対する目配りに欠けるという指摘がなされていた。20世紀前半の「文化」における「宗教」の位置というのは私にはわからないけど、続刊予定の20世紀後半だったら、旧植民地からの移民の増加ということがあるから、英国におけるキリスト教以外の宗教について教えていただけると勉強になるかなと思ったり。それこそ、映画『ベッカムに恋して』の世界であるわけで。
ついでに、これはないものねだりだけど、個人的には今回の本でアイルランドのことをもう少し教えてもらえるとさらに勉強になったかなと。もちろん、序章では「アングロ・ケルト」についての記述があるし、第9章あたりでもアイルランド絡みの話は出てくるのだけど。「教科書」ということを考えれば、「英文科」的な所には、アイルランドに興味を持つ学生さんというのはそれなりにいるようだし、19世紀末から20世紀前半のアイルランドの政治状況と絡めながら、「ケルト文化」なるものがある種の「伝統の創造」的構築物としての側面を持っていることや、イエイツ以降の文人や知識人たちの活動、あるいはもっと民衆的な活動など(不勉強なので具体的には全く知らないけど)、まとめて論じてもらえればいろいろと勉強になったのではないかと。まあ、ないものねだりだし、興味があるなら自分で勉強しろということなのだけど。