立った

午前中にリハビリと診察へ。順調に回復しております。で、2週間前からギプスは取って、外出時だけ装具で足を固定する形になっていたのだけど、その装具もいよいよ取ることになり、松葉杖はまだ使うけど、とりあえず両足で歩くことに。「ガンダム、大地に立つ」(第一話)あるいは「クララが立った」みたいな状態で、なんともどきどきする。今日の通院は装具着用で行ったからそれで帰ってきたけど、明日あたり、二ヶ月ちょっとぶりに左足に靴を履くことになるだろう。このまま行けば、私が思っていた以上に早く松葉杖もいらなくなりそう。


そんななか、今度の発表に向けて少しずつ準備を。今回扱うのは追悼詩なわけで、いわゆるエレジーなのだけど、そういえばこのジャンルについてきちんと勉強したことはない。なので、本棚を眺めて以下の文献を。


岩永弘人・植月恵一郎編『イングリッシュ・エレジー――ルネサンス・ロマン派・20世紀』(音羽書房鶴見書店、2000年)から以下3本。
山木聖史「エレジー小史――スペンサーからグレイまで」(1−30頁)
齊藤美和「死者賛美の詩学政治学――皇太子ヘンリのエレジー」(95−108頁)
植月恵一郎「マーヴェルのエレジー――「護国卿の死」について」(139−154頁)


その後、次のもの。
Morton W. Bloomfield, "The Elegy and the Elegiac Mode: Praise and Alienation" Ed. Barbara Kiefer Lewalski. Renaissance Genres: Essays on Theory, History, and Interpretation. Cambridge, Mass: Harvard University Press, 1986: 147-57.


最初のものと最後のものが、このジャンルの基本的なことに関して教えてくれてありがたい。それによれば、このジャンルの元となった古代ギリシャの「エレゲイア体」というのは純粋に韻律の形式に関する約束事で、その形式が特によく用いられたのが死者を悼む詩であったのだけど、その形式がルネサンス期のイングランドでは主に死者を悼む葬送エレジー(funeral elegy)と、報われない愛を嘆く恋愛エレジー(love elegy)に用いられており、それが徐々にその形式よりも内容に重点を置いたジャンル規定になっていき、どうやら18世紀半ば過ぎくらいには「エレジー」といえば死を嘆くものということになっていったと、どうやらそういうことらしい。


で、これは特にBloomfieldが書いていることだけど、ルネサンス期の葬送エレジーには概ね三つの要素があり、死者を讃え(praise)、その死を嘆き(lamentation)、しかる後に慰めを見出す(consolation)と。そのバランスがいろいろなわけだし、齊藤論文と植月論文が書いているようにそこには「政治性」がある。私の場合もそこが重要なわけだ。


このジャンルの概観を知りたいと思ったのは、果たしてドライデンによるクロムウェル追悼詩は、他のものと比べてどの程度「エレジーらしい」のか、ということを知りたかったからなのだけど、結論から言えば、やっぱりちょっと違うのかなと。もちろんそれは既にこの詩に関する研究や各種注釈でも言われているので、再確認したに過ぎないのだけど。端的に言えば、エレジーの三つの要素のうち、あまりにpraiseの比重が大きいように見えるということになるか。


で、ドライデンは他にもエレジーに属しそうな詩を何篇か書いているのだけど、それらはもう少し「エレジーらしい」。そのことは、実は最初の山木論文が、王政復古期にエレジーを書いた詩人の代表としてドライデンを取り上げつつ、このクロムウェル追悼詩にはただの一言も触れていない(ドライデンが「死者に送った」詩としてはおそらく一番有名であるにも関わらず)という点にも現われているのではないだろうか。わかんないけど。