English Gentlemanとは

昨日と今日の2日間、第29回スチュアート朝研究会@専修大学神田キャンパス。

今回は2日間に渡って、William Wycherleyの芝居を4本(彼が残した戯曲はこれで全て)。

The Country Wife and Other Plays: Love in a Wood/the Gentleman Dancing-Master/the Country Wife/ the Plain Dealer (Oxford World's Classics)

The Country Wife and Other Plays: Love in a Wood/the Gentleman Dancing-Master/the Country Wife/ the Plain Dealer (Oxford World's Classics)

私は今回、第2作目であるThe Gentleman Dancing-Master(1672年初演)を担当。思いつきを話す。私の思いつきの話をコメンテーターの先生がきれいに整理してくださったのだけど、内乱を経て18世紀に向けてイングランドの文化状況が変化していくなかで、改めて「とは何か」という問題が浮上してくるという点、加えてスペイン、フランス、オランダなどの諸国との関係やイングランドの「帝国化」のなかで、「とは何か」ということが問題になってくるという点、ふたつ合わせて結局は「とは何か」という問題が、この作品を読む際のひとつの鍵になるということ、それが私の話の要点だったらしい。(私自身はもっと下手くそな言い方しかできなかったけど。)もちろん他にもいろいろと考えるべき点もあって、他の参加者の皆さまからいろいろとご意見を拝聴し、勉強になった。

それにしても、やっぱりcomedyとかfarce、あるいはsatireといったジャンルの作品は難しい。笑いの「ツボ」みたいなものはやはり歴史的なもので、当時の観客がいったいどの辺りを笑ったのか、なかなか判断ができないことがある。もちろんどうやったって十七世紀人にはなれないわけだし、観客の反応に関する資料は限られているから、結局は、たくさん作品を読んでいくなかで、「どうやらこういうのが受けたらしい」というのを掴んでいくしかないのだろう。


そして謝罪。初日「大遅刻」してすいませんでした。(自分の報告に間に合ったのがせめてもの救いであります。)