18世紀研究会

1日(土曜日)は、昼から神保町。18世紀イギリス文学・文化研究会第12回例会@専修大学神田キャンパス。
この研究会の母体は日本ジョンソン協会
このジョンソンはサミュエル・ジョンソンで、その名を冠した学会ではあるけど、広く「長い18世紀(the Long Eighteenth Century)」のイギリス文学・文化(ということでドライデンも含まれる)を対象とした研究者の集まり。今回の会はその関東支部という位置づけだそうな。この会自体にはしばしば参加させてもらっていたけど、このたび正式にジョンソン協会に入会。所属学会リストにまた一行追加。まあ、入るだけでは仕方ないので、少しは貢献していきたいもの。


さて、今回のプログラムは大きく3つ。

一つ目は、先般刊行されて話題になった「例の」イギリス文化史教科書の「長い18世紀」篇についての企画説明。この研究会の中心人物であるH先生が、この教科書の編集についても陣頭指揮を執ることになっており、いきおいこの研究会のメンバーが執筆陣としても期待されるので、趣旨説明と現段階での個別テーマの提示など。ずらっと並んだテーマ一覧(もちろん、ここから取捨選択したり付け加えたりしていくつかの章にまとめるわけだけど)を見ただけで、この本の完成が待ち望まれる。

その場でも話に出たけど、やはり問題はカヴァーする時代の長さ。第一弾が1900年から50年までの半世紀、そのなかでも主に戦間期であったのに対して、今回は1660年から1837年あたりまでを押さえることになる。およそ三倍。でもシリーズものだから構成や全体の分量は同じくらいに揃える必要があるわけで、章立てが非常に難しくなるだろう。それに、第一弾では全体を通してジョージ・オーウェルが鍵になる人物となっていたけど、これだけ範囲が広いと、一人の人物では足りないし、かといって鍵人物として数人をうまくピック・アップするのも難しそうだ。

それにしても、別に私が執筆などに関わるわけではないけど、このような出版企画について直接話を聞けるのは、それだけでも勉強になる。いつか自分も、みたいな気にもなるし。


プログラム二つ目は、George Lilloの悲劇_The London Merchant_(1731)と_Fatal Curiosity_(1737)について。
かつてイギリス演劇研究の大物L. C. Knightsがこの時代の演劇を「退屈」だと述べたのを受けて、果たして退屈な「だけ」であろうかと再考するという趣旨。Knightsが「退屈」と言ったのは、18世紀演劇が時代の思想を反映していないからだとのことで、そのあたりを、エリザベス朝や王政復古期の演劇とも比較しつつ考察。特に、「家庭悲劇(domestic tragedy)」という、エリザベス朝に流行したサブジャンルの流用/領有/復興という問題と、「政体」の危機を扱う王政復古期悲劇のジャンル規範とその18世紀悲劇での変容という問題、さらに、18世紀後期〜19世紀的なメロドラマというジャンルへの移行の問題、そのあたりがポイントか。

なかなか(日本では特に)正面から論じられることの少ない18世紀演劇について、非常に示唆に富む発表だった。


プログラム三つ目は、「ゴシック」研究(小説、詩、演劇すべて。でも主に小説)についての講演。誰あろう講演者はあのT御大(学魔じゃない方)で、御大の修論のゴシック論は、その分量(注と文献表を含めてA4で400枚になろうか)と、70年代初頭にゴシックを扱ったという点で、「伝説」となっているわけだけど、今回その現物も見せていただけた。圧巻。我が修論のなんとみすぼらしいことよ。そして、間違いなく我が博論だってあんな分量にはならない。もちろん、量が多ければいいというわけではないけど、御大のは質量ともに充実なわけで。しかも、それでいて「時間が足りなくて書きたい事がすべて書けなかった」とのこと。時間が足りなかった理由も、修論執筆中に日本英文学会のシンポジウムに出て、ド・マンを紹介する話をしたからその準備に時間がかかったからだと。いやはや。


御大からは、たまたま乗り合わせた帰りの電車で、研究に関する助言もいただく。ドライデンとは時代もタイプも違う作家についても勉強すると視野が広がるし逆照射的にドライデンの特徴もわかるだろうということ。具体的なsuggestionもいただく。私は、私が偉大と思う先達の言うことは結構素直に聞くので、今は難しいけどいずれその方向で勉強も進めていくことにしよう。ということで、バイロン