アン、エミリー、ケンヂ

いや、またもわけのわからないタイトルのエントリーで恐縮です。


昨日20日(土曜日)は、午後から高田馬場。新英米文学会12月例会@早稲田奉仕園

研究発表の一つ目は、アン・ラドクリフのゴシック・ロマンスにおける「旅」と「家」について。ここしばらく初期近代研究において「旅行記」(travel writing)について論じられることが増えている。特に小説というジャンルとの関わりについて18世紀のものがよく論じられている様子。その動向を踏まえて、ラドクリフの第三作目『森のロマンス』(The Romance of the Forest)を取り上げ、登場人物たちがある「家」(ここでは広義に捉えて、城や寺院なども含めて、人物たちが滞在する建物)から別の「家」へとやたらと「旅」をすることの意味を考えるもの。迷宮のような古城に閉じ込められ(しかも地下とか)、いわば「閉所恐怖症的」な恐怖を煽る初期ゴシック小説に対して、後の『放浪者メルモス』や『フランケンシュタイン』果ては『ドラキュラ』に至るまで、後期ゴシック小説ではやたらと旅をすることが増えるのだけど、その過渡期にあるのがラドクリフのこの『森のロマンス』であるという位置づけか。ちょうどこれはラドクリフ自身のキャリアにも当てはまり、この作品以前のものと、その後の『ユドルフォーの秘密』や『イタリア人』といった従来彼女の代表作とされている作品との間を橋渡しするものだと。しかも、この作品では、「家」で起こる「超自然」的なこと(超常現象みたいな)が、「旅」において示される「自然」と対置されることで、そして(彼女の作品に特徴的なことだけど)その「超自然」が最終的には「合理的に」説明されてしまうことで、「超自然」、「自然」そして「人工/人為」の三者関係が変容を被ることになるわけだ。


二つ目の発表は、エミリー・ディキンスンにおける「農作業」。私は知らなかったけど、ディキンスン家には広い農園や果樹園、温室、牧草地などあったそうで、それらをモティーフにした詩がいくつも書かれているとのこと。そのなかには、農作業と詩作を重ね合わせるようなものがあり、いわば「農夫としての詩人」(あるいはその逆)という形象が成り立つ。要するに、農業も詩作もどちらも "nature" に手をいれて何らかの "product" を生み出す "art" であるわけだ。アメリカ版「農耕詩の諸変奏」か。


質疑応答が始まるところで中座。渋谷へ移動。

筋肉少女帯ライヴ「09間近!やるべきことを筋少はやる」@SHIBUYA-AX
この規模のライヴハウスは初めてで、なんだかまごまごしてしまったが、実に楽しいライヴであった。が、スタンディングは腰とアキレス腱(古傷化している)に辛い。やはり座席のあるところがいい。