詩人映画&ディアスポラ

詩人映画についてfirecat先生からさらに情報。感謝いたします。普段このブログではたいした情報は発信していないわけで、こういうとき人様に頼ってばかりというのは何とも申し訳ないことです。


そんなことを思いつつ、今日は昼から麻布の方へ。
シンポジウム「ディアスポラの力を結集する――ギルロイスピヴァク、ボヤーリン兄弟」@東京麻布台セミナーハウス

以下、案内より一部抜粋。

【開催趣旨】
ユダヤディアスポラの思想経験から近代世界を乗り越えることを試みた画期的な一書、ジョナサン・ボヤーリン&ダニエル・ボヤーリン著『ディアスポラの力――ユダヤ文化の今日性をめぐる試論』(赤尾光春・早尾貴紀訳、平凡社、2008年)が翻訳刊行されました。

同書は、二千年来のディアスポラ経験を通じて発展したユダヤ文化を多面的に論じることで、近代国家の国民主義と領土主義を根底から批判するものとなっています。しかし、ユダヤ研究にとどまらず、人類学やジェンダー論や現代哲学やカルチュラル・スタディーズなど多岐にわたるボヤーリン兄弟の議論の射程は、私たち訳者二人によってもなお十分に理解し尽くせるものではありません。

他方ここ数年、「ディアスポラ」という問題視角は人文諸科学で、とりわけポストコロニアリズムの研究分野で広く共有されつつあり、ボヤーリン兄弟の問題意識と共鳴し合う仕事の日本語への翻訳も相次いでいます。そうしたなかで、ボヤーリン兄弟が論及しているポール・ギルロイおよびG・C・スピヴァクの大著の翻訳労作(『ブラック・アトランティック』および『ポストコロニアル理性批判』、ともに月曜社刊)は画期的なものでした。

ボヤーリンの翻訳刊行を期に訳者である赤尾と早尾は、これらの先行する労作の力を借り、それらを重ねて読み込むことで、ユダヤディアスポラ論の理解を深めると同時に、ギルロイスピヴァクの翻訳紹介に携わってこられた研究者の方々に、ボヤーリン兄弟をどのように読むのか、その読解可能性を開いていただきたいと考えました。

このシンポジウムでは、ギルロイ『ブラック・アトランティック』の訳者である鈴木慎一郎氏と上野俊哉氏、また別のギルロイの訳を進められている浜邦彦氏、スピヴァクポストコロニアル理性批判』の訳者である本橋哲也氏、スピヴァクと親交が深く招聘やインタヴューもされている鵜飼哲氏、ユダヤ思想研究を中心に領域横断的な研究をされている合田正人氏にご参加いただきます。

【開催内容】
第一セッション
ユダヤディアスポラとブラック・アトランティックの出会う形」
鈴木慎一郎、浜邦彦、合田正人、赤尾光春(=司会兼)

第二セッション
ディアスポラサバルタンの位相」
本橋哲也、鵜飼哲上野俊哉早尾貴紀(=司会兼)

ディアスポラの力―ユダヤ文化の今日性をめぐる試論

ディアスポラの力―ユダヤ文化の今日性をめぐる試論

ブラック・アトランティック―近代性と二重意識

ブラック・アトランティック―近代性と二重意識

ポストコロニアル理性批判―消え去りゆく現在の歴史のために

ポストコロニアル理性批判―消え去りゆく現在の歴史のために

鈴木先生は体調不良ということで残念ながらご欠席。あと、事前には決まっていなかったようだけど、特別コメンテーターとして田崎英明先生。いずれにしてもこの界隈ではとても豪華な顔ぶれ。

途中短い休憩を何度か挟みながらだけど、結局予定を一時間以上オーバーしてトータルで6時間超の長丁場。皆さん知識も言いたいこともたくさんでよくしゃべる。ギルロイはきちんと読み通していないし、ボヤーリン兄弟の著作は今回初めて知ったので手にとってもいなかったのだけど、これは読むに値する本なんだろうという感触。「ディアスポラ」というのもずいぶんと便利な言葉になってしまった感があるけど、ちゃんと考えて使わないといかんなと。