感傷の本とエコ・テロリズムの本

ご恵贈いただいたのはずいぶん前なのだけど、なかなかちゃんと読む時間がなく(作品の構成上「本質的に」読みにくいので)、紹介も遅れてしまった。陳謝。

感情の人 (松山大学言語・情報センター叢書)

感情の人 (松山大学言語・情報センター叢書)

18世紀英国のベストセラーであり「感傷小説」の代表作。付録として「ヘンリー・マッケンジーおよび『感情の人』関連文献一覧」と、「日本におけるヘンリー・マッケンジー研究を参考に『感情の人』を読む」という論考が付されているので、「感傷小説」や「センティメンタリズム」などにご関心のある方々には大変有益な一冊かと。当時は非常によく読まれたようだし、著者はスコットランドの人だからそっちのつながりもあって18世紀後半〜19世紀のアメリカにも何らかの影響は与えただろうから、アメリカ文学方面で「センティメンタリズム」を研究テーマに揚げているそこのあなたにもお薦めだし、「感傷」「感情」の話は「道徳」や「教育」といった問題とも絡むことが上記の附論でも指摘されているので、やはりアメリカ文学方面で19世紀の「家庭小説」と「教育」を研究しているそっちのあなたにもお薦め。


ここ一週間、いろいろあって出かける機会が多かったけど、移動の車中などで↓を。

エコ・テロリズム―過激化する環境運動とアメリカの内なるテロ (新書y)

エコ・テロリズム―過激化する環境運動とアメリカの内なるテロ (新書y)

普段なら手に取らなそうな本だけど、著者が敬愛する先輩のパートナーなので。で、読んでみたらとても面白い。

日本でも昨今有名な(悪名高い?)シー・シェパードなどに代表されるラディカルな動物保護・環境保護の活動があるわけだけど、そういった活動の現状の説明からその成立史、そしてそれらの活動を支える思想的背景へと切り込む。この手の「巷で話題のテーマ」を扱うと、ともすればジャーナリスティックなもの、扇情的なもの(言ってしまえば「週刊誌・ワイドショー的)にもなりやすいと思うけど、この本はそういったものとは一線を画すものだと思う。なにせ著者はカント研究者でもあるわけで、本書は「思想史/観念史」の本でもある。そのあたり、「あとがき」から引用。

 細分化・専門化した諸科学の中で、哲学は存在者を統べる原理を究明し、自然の法則を導き、そしてそれらに体系を与えるという力を奪われた。環境に関して、哲学者が新たに、気候変動の中長期的なメカニズムの解明と予想をもたらすことができるとは到底思えない。動物に関して、哲学者が痛みを感じる能力について、実験を行い、確実なことを突き止めることもおそらくできない。哲学は客観性、実証性という点で計られるなら、どう言いくるめても「二流の」科学、言わば万学の女王ならぬ万学のシロウトに留まる。自然や動物をめぐって人間が抱く観念の歴史だけが、諸科学から弾き出される形で、哲学に残される。
 しかし、この状況は必ずしも悲観するべきものではない。全ての個別専門諸科学から追放されて、哲学は原初的な姿に戻ったとも言えるのだから。(後略)

ちょっとかっこいい。

で、思想史的な話としては、例えば19世紀以来の「動物の権利」をめぐる議論、千年王国主義のような黙示録的思想、ソーシャル・エコロジーやエコ・フェミニズム、そしてソロー以来(もっと溯れば独立戦争以来)のアメリカの「市民的不服従」の伝統(これが本書で一貫して重視されている点で、本書が「アメリカ論」としてもとても面白いものになっている要因かと)など、主に19世紀〜20世紀英米の文脈で。

もちろん、様々なラディカルな活動の様子についてもびっくりするようなエピソード満載で、それだけも面白い。それらの思想的背景を通して見えてくるのは、一見エキセントリックな活動が極めて「アメリカ的」であること。それを言い表して非常に印象深いのが、第4章の扉のエドワード・アビーからの引用。「暴力、それはピザと同じくらいアメリカらしい」(『爆破――モンキー・レンチ・ギャング』より)

ということで、本書は環境、エコロジー、動物などに興味を持つ人だけでなく、テロリズムアメリカそれ自体に関心のある人にもお薦めできるかと。