鹿狩り

先週土曜日21日、午後から東武練馬。十七世紀英文学会東京支部例会@大東文化会館。他にも行きたい集まりなどあったが、今回はマーヴェルとのことで、いそいそと。

で、発表はマーヴェルの詩 "The Nymph Complaining for the Death of her Fawn" について。20世紀後半の批評においては、この作品に登場する「乙女」と「鹿」、その「鹿」を撃ち殺してしまう「騎兵」たち、その「鹿」を「乙女」に与えた「恋人」、これらのキャラクターたちが、17世紀中葉の歴史的コンテクストにおかれた際に、どのような当時の人物や党派のアレゴリーとして読めるかということが中心的に論じられてきた。たとえば、無残にも殺されてしまう「鹿」は、処刑されたチャールズ1世のアレゴリーである、といった感じ。(ド・マンを読んでる方々には怒られそうな用語法である。)

ただ、そういったいわば「アレゴリー探し」には当然限界があり(もちろん、ある水準においては様々な読解の可能性を示して有益であったのだろうけど)、今回の発表では、ごくごく素直にこの詩を「人んちの庭で勝手に鹿を狩ってくやつら」つまり「密猟者」の詩であると考え、当時の狩猟に関する法律や慣習などの側面から考察するというもの。 と同時に、この詩のなかに、のちのロマン派にまで通じるような、動物に対するある種のsensibility / sympathy / compassion のようなもののあらわれを読むという視点も導入される。つまり、「クマいじめ」やら狩猟が大好きなお国柄であった英国が、いつのまにか(?)動物愛護のお国柄になっていく、その萌芽的なものを読んでいくと。

もちろん、狩猟というものが支配階級の文化、なんなら貴族的・宮廷的文化といってもよいようなものであったとしたら、それに対して動物へのsympathy を示すことで、この詩がある種の抵抗をしてしまっているのであれば、当然そこには同時代的な政治性が読みこまれてしまうわけで、そのあたり、たがが動物されど・・・、という感じか。