9月中旬〜10月中旬

忘れないうちにメモを。

9月9日、院生の頃からずっとやっている若手同業者の会。私の発題で、英米文学・文化・社会や英語の授業で「使える」映画はないか、という話を。イギリス文化関係の授業でよく『ベッカムに恋して』を使っているのだけど、他に何かないかなと。特定のトピックに関してならいろいろありそうだし、そういう教科書的な本もあるわけだけど、1本であれこれ話せそうな「使い勝手のよいもの」となると、(私の能力不足が大きいが)あまり思い浮かばなかったりするので。『スカイフォール』や『ハリー・ポッター』シリーズ、それに新しいテレビ版の『シャーロック』などはどうかという意見など。ただ、どれも熱心なファンが多そうなので、うかつなことを授業で言うと反発を受けそうな気もしたり。あとは、『ノッティングヒルの恋人』や『ホリデイ』のように、イギリス人とアメリカ人が出会うような映画だと、いろいろ面白い話ができるのではないか、と。

9月11日、蜷川幸雄演出の『ヴェニスの商人』@彩の国さいたま芸術劇場。オールメールで主演は市川猿之助というから、最初はてっきりポーシャをやるものだと思ったのだけど、まさかのシャイロック。どうなることかと思ったのだけど、登場人物中でただひとり歌舞伎の所作を用いるシャイロックは、その所作の点だけですでにヴェニスの「内なる他者」という印象を強め、さらにその所作を他のキリスト教徒たちがパロディにしたりすることで、笑いを誘いつつもますますシャイロックを疎外していく感じにもなっていた。これは成功だろうと思う。

そして、基本的に原作にない場面は作らないという蜷川が、今作ではマイケル・ラドフォード監督の映画版と同様に、原作の大団円の後にシャイロックをひとり登場させる場面を作っていた。ラドフォードの方のアル・パチーノ演じるシャイロックは、キリスト教徒に改宗させられ、ヴェニスユダヤ人ゲットーから追放され(目の前で門が閉ざされる)、かと言ってキリスト教徒の社会に受け入れられるわけでもなく、ということで彼の最終的な孤独感・絶望感が強調されているような印象を受けたのだけど(そうでもないのかな?)、猿之助シャイロックは、もちろんそういう面もあるのかもしれないけど、私の印象としては、再びの復讐を誓っているかのようにも見えた。そのあたりはどうなのだろうか。また、その他の登場人物/役者たちもとてもよかった。とりわけ、高橋克実のアントーニオ、横田栄司のバサーニオ、それに岡田正のネリッサあたり。

9月14日、勤務先を会場にしてポー学会が開催されており、うちのボスが特別講演ということだったので、授業後に拝聴に。ポーとアーヴィング。

9月19日、ゼミ飲み会。結局、一部の学生たちと朝までカラオケ。もう若くはない。

9月22日、身内の学会。修士課程の院生の修論中間発表(英語教育関連と、フォークナーの「エミリーに薔薇を」論)と、ゲストを招いてのシェイクスピアソネットについての特別講演。「ソネット」という形式の特徴、歴史、イングランドへの導入の話から、「甘味」と「苦味」というキーワードでシェイクスピアソネットを読みとく試み(と、これだけで、どなたがゲストであったか、わかる人にはわかるであろう)。学部の学生を主たる聴衆と想定してお願いをしてあって、そのためとても丁寧でわかりやすい説明であったけど、同時に私なんかが聴いても大変に勉強になるお話であった。

9月28日、レイモンド・ウィリアムズ研究会のワークショップ「わたしたちの文化をどうするか――変化と連続性からみるイギリス社会」@東洋大学。多岐にわたる話題は出たのだけど、行き着く先は、「わたしたち」あるいは「わたし」をめぐる問いであった。

10月5日、6日、シェイクスピア学会@鹿児島大学。初めての鹿児島は、灰の街であった。いや、話には聞いていたけど、ほんとに凄かった(地元の人に言わせれば、もっと凄い時もあるとのことだけど)。初日は、シェイクスピア改作関連の発表2本と、王政復古期演劇関連の発表2本を拝聴。2日目は午後のセミナーで異性配役について。ちなみに研究発表において、全国規模の学会における「手を挙げて質問」デビュー。師匠を見習って質問は2つ。だからどうしたと言われれば返す言葉もない。

10月11日、森新太郎演出『エドワード二世』@新国立劇場。寵臣にうつつを抜かしすぎて妃や貴族たちを敵に回してずいぶんな殺され方をした愚王、ということではあるのだろうけど、柄本佑の演じるエドワードには愛嬌もあり、あんまり憎めない。何より、「私を愛してくれるのはギャヴィストンだけだ」というエドワードからは、生まれつきの身分の高さに由来する孤独感を見て取ることができた。

などなど。