ローカルでグローバルな「近代」
昼から国立。「歴史と人間」研究会@一橋大学。
この研究会に参加するのは初めて。ウェブ・サイトの過去の例会報告をご覧いただけばわかるとおり、基本は西洋史の「なんでもあり」系。前々から興味はあったものの、初期近代ものはほとんどなくて、二の足を踏んでいたのだけど、今回は史学史の話なので意を決して参加することに。
メインは、御年80になられる大御所(イギリス社会主義思想史ならびに労働運動史の大家。英語での著作が多く、「本家」での評価ももの凄く高い)の、ご自身がオックスフォードで研究なさっていた1950年代を中心とした回顧談。戦後すぐに研究を始め、最初はアメリカ、その後イギリスで研究を続けた方なわけで、『英語青年』風には「歴史学オーラル・ヒストリー」。
1956年のスターリン批判以降、イギリス共産党に所属していたマルクス主義系歴史家たちの多くが党を離れ、新たな歴史研究の潮流を作ることになっていった、いわゆるニュー・レフトの誕生に絡む話などは聞いたことはあるわけだけど、まさにその現場に居合わせた方なわけで、貴重な機会であった。
今回の会は「世代間の対話」を図ることが大きな目的のひとつだったようで、講演に先立っては40代前半の先生による、19世紀の社会主義思想から20世紀の共産党系マルクス主義史学、ニュー・レフト運動、1968年以降のニュー・レフト第二世代、そして今のポスト・マルクス主義とカルチュラル・スタディーズあたりまでの概説(これがまた有益)、講演の後にはそろそろ還暦の先生によるコメントがあり、質疑の際には20代の若手も手を挙げるという結構。
歴史学プロパーのことはよくわからないことが多いけど、最終的にはそもそもイギリスのことを研究することの意義をめぐる話になった感じで、要するに、現在のグローバル化した「モダニティ」なるもののひとつの根っこが特殊イギリス的なローカルなものにあるわけで、それゆえローカルなイギリスのことを研究することはある種の普遍性を持ちうる、ということか。「近代化論」から「<近代>批判」へと変遷があってもイギリス研究がある意味で特権性を持ちうるのは、このあたりの事情があるからなわけで、その辺はもっと強調してもいいのではないかと、「初期近代英文学」なるものを勉強している身としても小さな声で呟いてみたり。