久しぶりに少しドライデンの詩を

読んだ(そんなことではいけない)。

ひとつは、チャールズ2世の追悼詩 "Threnodia Augustalis. A Funeral-Pindaric Poem Sacred to the Happy Memory of King Charles II" (1685)

もうひとつは、ジェイムズ2世の息子(のちのOld Pretender)が生まれたときに捧げた "Britania Redidiva. A Poem on the Prince" (1688)


どちらもメイン・タイトルはラテン語だけど、中身は英語。ざっと読んだだけなので細かい点はよくわかってないのだけど、とりあえずいまの私の関心からして重要なのは、この両作品は、性質としては初期の "Heroique Stanzas" や Restoration panegyrics と同様であるといえるのだけど、それらの作品で為政者(クロムウェルと帰ってきたチャールズ)や国家/帝国を描写するのにさんざん話題になっていた海外貿易/海洋支配への具体的な言及(というのは主に、その向かう先である東西インドや競合者であるフランス、オランダなどの固有名をともなうもの)が、この1680年代にやはり為政者(チャールズ2世、ジェイムズ2世、そしてその世継ぎのジェイムズ)を描く詩においてはほとんど見られず、海洋支配については抽象的なイメージで言及されるだけだということ。

理由はいろいろあるのだろうけど、「外的」なものとしては、ひとつは東インドでの海外貿易の覇権をめぐって争われた三次に渡る英蘭戦争終結したので、殊更に反オランダ感情をあおる必要が(当面は)なくなったという点、もうひとつは、1670年代末からのPopish Plot から Exclusion Crisisの流れのなかで、ドライデンにとっての関心事が、外のことより内のこと、という感じになったということ。このときのキーワードはやはり "faction" か。今回読んだ二つの詩でも、やはりこの語が国を揺るがす元凶のように書かれるし、もちろん Absalom and Achitophel でもそう。で、この時期に "faction" といったら、すでに Tory と Whig という形が成立しつつあるわけで、そのあたりの政治史的流れと文学の関係について、ドライデンだけではなく広く勉強する必要はある。ということで、ドライデン関係だけでも読むべきものはたくさんありそうだけど、ドライデンとは逆の立場の方からだと、例えば↓とかかな。

Poetry and the Creation of a Whig Literary Culture 1681-1714

Poetry and the Creation of a Whig Literary Culture 1681-1714