サティ

ドライデンの Aureng-Zebe、実在の人物としてはAurengzeb(e)と表記され、「アウラングゼーブ」というのが一応インド史の方での標準的な表記のようだ。で、この『アウラングゼーブ』を「オリエント表象」研究の文脈で読む場合、もっとも重要な問題が「サティ」(寡婦殉死)だと。うっかりしていた。で、この点については、以前に挙げたJohn Michael Archer, Old Worlds: Egypt, Southwest Asia, India, and Russia in Early Modern English Writing が詳しい。ローマ時代から初期近代にいたるテクストをもとに、「インド」をめぐるヨーロッパ側の言説において、このサティの習慣が一方では夫につくす妻の忠誠と美徳の証として称賛され、他方で「野蛮」な風習として嫌悪されたこと、そしてその言説編成のなかでいかに「女性の声」が消えているかという(スピヴァク的な?)議論を行い、また、いかに「インド性」のようなものが「女性の身体によるパフォーマンス」によって表象されているか、そんなことを論じている。

この『アウラングゼーブ』においては、愛する夫を失いその遺体とともに燃えることを選ぶメリシンダと(舞台上ではそれは演じられないけど)、嫌悪する夫とともに自らが炎に焼かれることをイメージしながら(実際には服毒して)死んでいくノーマハールという2人の女性の(身体的というよりは言語的な)パフォーマンスが演じられ、メリシンダの方はサティのもつ「美徳」の側面を、ノーマハールは「野蛮」の側面を、それぞれ分かち持つことになる。しかしながら、ムガル帝国イスラム国であり、イスラム教徒はヒンドゥ教の習慣であるサティを認めずそれを禁止しようとしていたということは先行するテクストでも示されており、この作中でも本来ならムガル帝国の王族たちがサティを行うはずはない。にも関わらず、ドライデンがこの作品にサティを導入したことは、彼にとって(そして初期近代のヨーロッパ人にとって)関心があった、あるいは惹きつけられたのは、ムガル帝国ではなく、あくまで「インド」――無時間的・超歴史的なものとしての「インド性」(本当は古代ローマ以来の表象)を持つものとしての――であった、ということになる。それと、そこで体現される「インド性」は女性の身体を媒介として示されるものであるわけで、その意味では「インド」とは「女性的」なものであり、それに対する「男性原理」のようなものを体現するのがムガル帝国の支配体制であるわけだけど、「インド表象」において圧倒的な(テクスト的)力を持つのはその「女性的」なものであるわけだ。ドライデンがこの作品の種本とされるテクストには登場しない女性人物を導入したのは、そういった点からも説明がつくことになる。

なんだか不十分なまとめしかできないし、該当の章を再読する必要があるか。


ともあれ、そうなると問題にしたいのは、王政復古期のイングランドにとって「ムガル帝国」(「インド」ではなく)が持っていた意味か。というのも、この作品の舞台であるムガル帝国の首都アグラ(Agra)は、ムガル帝国の主要な貿易港を持つスラート(Surat)の後背地にある。で、このスラートという都市は、イングランド東インド貿易の拠点のひとつとして非常に重要な意味を持っていた。ここに貿易拠点を築くために、東インド会社使節がアグラのムガル皇帝シャー・ジャハーン(アウラングゼーブの父親)のもとへ赴いたりもしているわけで。そういった事情はドライデンは知っていたはずだし、この作品の直前には東インド貿易をめぐるオランダとの対立を背景とした『アンボン』(Amboyna)を書いてもいるわけで、ドライデンにとっては「ムガル帝国」の存在は大きな関心事であったのではないかと思われる。だいたい、そうでなければ、この時期にムガル帝国の1658年の内乱など題材にしないだろう。ドライデンの他の英雄劇はグラナダとかアステカとかローマ帝国とかの、もっと時代を隔てた物語を題材にしているのだし。さらに、ドライデンがこの作品をわざわざ「1660年」(イングランド王政復古の年)に設定していることは、この物語が王位継承権をめぐる内乱の物語であることを強く意識していたことの現われでもあるだろう。ということで、この作品を考えるなら、ヨーロッパとオリエント(インド)という「他者表象」の問題、イングランドの海外貿易の進展(<海洋帝国>化)、そこでのイングランドムガル帝国および他のヨーロッパ諸国との国際関係、それとイングランドの国内史(内乱から王政復古)、それらを考慮する必要はあるかと。もちろん他にもいろいろあるだろうけど。


と、そんなことを思いつつ、とりあえず校務と授業のことを考える日々ではある。いや、そんなに忙しいわけではなく、単に時間の使い方が下手で無駄が多いわけで。